時王嗟往
Jun/26/2019

おい!!!!!!!!!!!!!!!「劇場版仮面ライダージオウ Over Quartzer」をいますぐ見ろ!!!!!!!!!!!!!!!いいな!!!!!!!!!!!!!!!

こういうテンションがいやな人のために,もう一度おちついて言う.今日から公開している,「劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer」をいま,すぐ,この瞬間に,文字を見た瞬間に,チケットを取って,見てほしい.どうせ席空いてるので.

えっ?過去作を見たことがないからうにゃうにゃ…なに!?はっきりしゃべってよ!!!!!ていうかそういうことなら心配無用!!!!!!!シリーズを追ってるやつでもわかんねえから!!!!!!!!!!!!!!!直近の元号二つ言えれば大丈夫!!!!!!!

そういう感じなので,なにとぞよろしくお願いします.見てくれ.もうみんなチケット予約のタブに移ったとおもうが,念のため,念のため,もうすこし書いておく.読んでる途中でちょっとでもピンときたらあたらしいタブを開いてほしい.

まず,非常にざっくりとあらましを書いておくと,平成のはじめころから一度はテレビ作品が作られなくなった仮面ライダーシリーズがふたたびテレビで放映されるようになった.シリーズ復活第1弾の「仮面ライダークウガ」から最新作の「仮面ライダージオウ」までの20作をまとめて平成ライダーシリーズと呼び,それまでに作られた作品群と区別するのが一般的である.また,平成ライダーシリーズでは1作をだいたい1年かけて放送し,新シリーズが毎年このくらいの時期に始まるのが恒例となっている(まえはふつうに1月はじまりだったがこれもいろいろあって変わった).

それにあわせ毎年夏と冬,メインターゲットである子供の長期休みに合わせて映画が上映されていて,それぞれ夏映画と冬映画とよばれている.このほかに春にもやったりしているがめんどうなの(と話すとひとりでおもろくなりはじめるので)省略.そして冬映画は前シリーズと現在放送中のシリーズがクロスオーバーするストーリー,夏映画では現在のシリーズ単独のエピソードを劇場版特有のちょっと豪華な予算で見せつつ,新シリーズのライダーもおひろめ,というのがここ数年の鉄板である.

今回の主題である「劇場場 仮面ライダージオウ Over Quartzer」というのは,そんな夏映画の中でも特別で,というのは現在放送中「仮面ライダージオウ」というのが過去作をいろいろな形でフィーチャーした20周年記念のお祭り作品であり,さらに今年は平成から令和へと変わる節目の年でもある,平成とともに駆け抜けてきた仮面ライダーにとってまさにお祭り中のお祭りともいえる作品なのだ!しかも今日から公開,オッケーわかった?よし!チケット購入!こっから下は読まんでよし!!!!!!!!!!!!!!

ところでこの平成ライダーシリーズ,お祭り作品などと書いたが毎年毎年永遠に終わらないお祭りみたいなところがかなりあって,とにかく毎年飛び道具でひとをびっくりさせることを追求していった結果,いろいろな点で珍妙さ,トンチキさの妙味にあふれている.もちろん正当にかっこいいとか,話が面白いとか,そういうことをいう人もたくさんいるし,それはそれでいいんだけど,まじめに平成ライダーの話をするなら絶対に避けては通れないのがこういった要素であると個人的に思っていて,それはたとえば爆発的に流行したヘアスタイルを登場人物みんなに割り当てた結果キャラの区別がつかなくなるとか,雨の中長身をかがめおもちゃのミニカーに傘をそっとかかげる竹内涼真とか,そういうことである.

そもそも平成ライダーというのは,なんかちがうぜ,おれは一味違うんだぜ,そういう中高生特有のさしたる根拠もない万能感とか自意識みたいなに刺さるような形で始まりを切ったように思う.もちろんシリーズの基盤となった「仮面ライダークウガ」では大人でも楽しめるシリーズに,みたいなコンセプトがあったのはひろく知られているが,そこで言われている「大人」というのは必ずしもほどほどの挫折と成功を体験してきちんと家庭を持って,子供と一緒に朝8時に朝食のお供として平成ライダーを見るような人間ではなくて,むしろ上で挙げたような,なんとなくいつも病的ではない程度に鬱屈としていて,べつに病気ではないほどにコミュニケーションがうまくなく,まあ友達などおらんわけではないがいつもほんのちょっとだけずれていて,それをなんとか自分だけの個性にしようともがき苦しんだりしているような,そういうちょっとすえた匂いを放つ青年のことを指しているような気がする.おれはそうだったが?

では彼らが,というかおれたちが,成人して,大学に行ったり就職したり,まあとにかくなんらかの形で人生をやむなく始めていったとき,どういう映画を好むか?やっぱり,ピクサーとかラブキュン映画とかよりは,自分のタイムラインでだけ大ヒットしてるインド映画とか,単館上映のホラーとか,あるいはもちごめが爆発するカンフームービーとか,とにかくちょっとだけずれている.うるせえな全部ふくめていろいろ見るわとかいう奴,そういうとこだぞ.べつに良い悪いとかいう話ではなく,やっぱりちょっとずれてるし,自分の個性として「ずれ」をものにしようとしつづけて青春を終えたおれたちは,もはやその呪いから解き放たれた/昇華することにできたいまでさえ,やっぱり半ば無意識にそんなずれたものごとを選ぶ傾向にあるのはないだろうか.

そういうちょっとめんどうなずれをなんとかやりくりしながら生きてきた人間にとって,本作はただの「平成ライダーの記念作品」以上の意味を持つように感じる.少なくともこの映画に,シリーズを追っていた人ほど楽しめる徹底したファンサービスとか,過去作品の描写が意味をなす数年越しのカタルシスとか,記念作品と聞いたときに想像する要素があるというのはむつかしい.それよりもむしろ,「あーーーーー平成ライダーってこういうシリーズだったよな」とか「こういう手癖,あるよなー!」みたいな,共犯者めいた,背徳的で湿度の高い,ある種内輪のおもしろさにあふれている.

たとえば,今作には(過去作でも往々にしてあったけど)大ヒットを記録し続けているMCUやDCユニバースといったアメコミ映画シリーズの存在を意識していることが明白なシーンが多々見受けられる.ただそれはヒットの要素を分解してどうこうとか,そんな賢いかんじじゃなくて,「なんか流行ってますよね笑」「うちもそれでいきますか笑」みたいな,まあこれは邪推だけど,とにかくそういう語尾に笑を忘れないようなゆるいかんじの参考度合いなのだ.そのおかげで,「ぜったいに元ネタはあれだけど出てきたのは間違いなく平成ライダー」という珍妙なシーンが頻発することになって,まさしくこれこそが,おれたちの平成ライダーだ!みたいな気持ちにさせられてしまうのである.というか,アベンジャーズがエンドゲームでアバター超えの大ヒットを飛ばした年に,平成から令和に変わるこの年に,20周年記念作品の最後を飾る夏映画で,これ出すか???????その感情が一番ただしい.

この映画を見たあとだと,どうも直近の冬映画であり,「平成ライダーとともに」を前面に打ち出した平成ジェネレーションズFOREVERの豪華な客演といった目配せがなんとも白々しいというか(これは言葉のあやです),絶対にシリーズをあれだけでは終わらせないぞ!という,ある種の強い覚悟を感じる.FOREVERでは「ありがとう平成ライダー!わすれないよ!(;o;)」みたいな部分がすごく押し出されていて,土着のヒーローとして着実に歩みを進めてきたシリーズのスタンスとしては間違いなく正しいんだろうけど,平成ライダーってそういう,王道だけで終わるシリーズだったっけ?という気持ちもなくはなかった(ウォズの地球の本棚とか可能性チョップとかには目をつぶっている).そこにきて今回の,絶対に,どうやってもありがとう!だけでは終わらせんぞ,今やってんのはおれだ!おれを見ろ!!!みたいな,そういう製作陣のある意味エゴともいえる強烈なメッセージに,なんというか,心を鷲掴みにされてしまった.

それと同時に,こういうラインギリギリの作品でも「仮面ライダーだしな,オッケー!!!!」みたいな空気でゆるされる土壌を作り上げた平成ライダーというシリーズに対して,感服するような気持ちもかなりある.毎年毎年好き勝手に設定ぶち上げるせいでどんどん切れてくるネタ,年々きびしくなる放送倫理やおもちゃの販促,減少するこどもたち,そんな限られた,もっといえばどんどん狭まっていくフィールドの中でこれだけのびのびと,やりたい放題やって,ときには30点で終わるけど,「続くシリーズを作る」その一点において最適解を選びつづけてきたのは,後知恵ながら正しかったと言わざるを得ない.くわえて今作もまた,これからもしばらくは続いていくだろう仮面ライダーの間口を,ゆるされる領域をおおきく広げることへ大きく貢献している.

ここまで読んでもらえばなんとなく察しがつくと思うが,今回の夏映画は間違いなく平成ライダーの作品として,どころか映画としてもギリギリボーダーにのるくらいのあぶなっかしいものである.そう思うし,思うんだけど,好きか嫌いかで言ったら……その……大好き!!!!最高!!!!!!!!!!JOY!!!!!!!!!!!!!!!!平成ライダーで自我を獲得したからか,こういう,工夫のない直球の意見をこねずにそのまま伝えるのは,ちょっとダサいとおもっちゃうけど,それでも,言わずにはいられない,もっとやれ!!!!!!!!!!!!!

最後にはなるが,結局平成ライダーの「身の丈にあう」,みたいなところをなにより好ましく感じているのだ.どれだけ手法を模倣しようと300億かけた大作映画になるわけじゃなし,だったら限られた予算で芸人でも呼ぶぜ,そういう身の丈にあった発想が,なんのかんのと言われながらも結局シリーズを長続きさせたし,その発想そのものがおれの身の丈にあっていて,それはたぶんおれだけではない.令和になって,時代を創るような立場ではとうていないが,そんな人間でも日曜朝にテレビをつければ仮面ライダーが待っている.新シリーズ「仮面ライダーゼロワン」ではどんな身の丈にあったずれをみせてくれるのか,いまから楽しみでならない.滅亡迅雷!(映画みてね)